20150317

20150316




孤独か孤独ではないか
ひとりかひとりではないか
はちょっと違うと思う


と思った



20150316

偽善
という言葉で

いまの全てが一蹴される


やらないよりは、やる、
方がいいのだろうか



動機は不純、周りの目、自分への納得
動機なんて関係ないのだろうか



その先の人たちのことを思って、
その気持ちを自分のものとして、
いるのだろうか
できるのだろうか
なれるのだろうか



きっと根っこじゃ
そうじゃない


結局は自己満足
こうやって書き残すことも

目を惹く言葉を選んで
心地よい間隔を空け
外面のよい文章にしようとする
此の期に及んで
ひらがな、カタカナ、漢字、
句読点に読点
のバランスを気にする


当事者面したいわけじゃない
でも向こう側に席を設けて安心したい
ということかもしれない




下手にずる賢くなってしまった
いらない


偽善



ふ、とした
一言が
ひどく重い



でも大丈夫
後ろ向きじゃない


迷惑を掛けない範囲で
できることを探して
やってみたい




これは夜の頭の中で
起きたら変わることも多分に


それもいい
でも


記録

ぶれないように



20150308

20150307

数年前から、
3月がもう少し苦手になった
元々、春があまり得意ではなくて
出会いとか別れとか、そういうのが原因ではないと思っていて。
具体的に言語化できないのだけれど、ヒトも含めた周りの環境が全て遅く生暖かくなる感じというか。視覚にボヤけるフィルターを1枚通したような感覚になるというか。
なんだか世界全部がだるーんとなっているように思えて、自分までだるーんとなってしまう。結局は花粉とか具体的なものが原因かもしれないけれど。
そんなこともあってか、今日は朝からずっとぼんやりしてしまって、行こうと思ってたところにもひとつも行けず残念だった。終始空がどんより曇っていたせいもあったかもしれない。

残念だったから、そのぼんやりと残念を翌日に持ち越さないように、夜に近所の銭湯に行った。最近もダメそうだなと感じたら行ってザバあっとするようにしてる。逃げるための場所。前向きに逃げるための場所。そもそも何かに追われてるのだろうか。それすらもはっきりしていない。
音楽としては聴いていないのだけれど「晴れたり曇ったり変わりやすい僕の空」という歌詞をよく思い出すことがあって、ここ数年の自分にもしっくりくる。一喜一憂、振れ幅よりも周期が短くなっているような傾向。
今日も君が遊びに来る傘もささずに」と続くこの歌みたいに、大雨の日にだって傘をささなくても平気でいられるようになりたい。


そういえば、自分がこれから何をやりたいのか分からない、という話をしたりした。同じように考えている人はいくらでもいることを再認識。
ずっとその日暮らしで、朝昼晩の食事のこととか、起きる時間と寝る時間のこととか、洗濯と皿洗いのこととか。そんな半径3〜4メートルの範囲のことだけを考えて1日が終わってしまうことも多い。淡々としたその繰り返し。
外の世界では毎日大変な出来事が入れ替わり立ち替わりで起こっていることを認識しながらも、何もリアクションしていない自分を情けなく思いつつ。



一歩踏み出す先すら見えているか定かではないけれど、何をしたいのか/どう在りたいのかについて、この前偶然出くわした瞬間を撮ったこの写真がとてもとてもしっくりきている。








これこそうまく言葉にはできないのだけれど、
いまの自分は、この写真の中に同時に存在しているものたちのそれぞれにひたすらに近づこうとしている状態なのかもしれなくて。
もしかすると取り戻す行為なのかもしれないし、それは単純に思い出すことなのかもしれない。
全部にいっぺんに近づくことはとても難しいから、ただただ憧れているのかもしれない。



まだまだ自己啓発的なところに考えが寄っていってしまいがちです。
自己満足の追求は程々にして、そろそろ、その先に人がいることに関わっていけたらなと思っています
(書くことによる自分へのプレッシャー)




取り敢えず、
朝は早く起きれるようになりたいです

三文の得、の三文について
ある情報筋によると現代価格に換算すると90円くらいだそうです(2014年時点)


90円払うので3月中はもう少しだけ長く寝かせて欲しいです、おやすみなさい



20150202

20150202

世界中がどんよりとしていて
真っ暗い夜みたいだったら

夜の暗さに目が慣れるまで
夜の静けさに心拍数を合わせられるまで
じっと耐えることができればいいと思います


でもあかりを灯せば自分の周りだけでも明るくできるなとも思います


懐中電灯や蝋燭や、
形は不格好でもなんでもいいし、電池が切れそうで少ししか明るくならなくても、とにかく光れば
漠然とした不安が少しでも飛んで、気持ちが楽になる

それが大勢で集まってやれば
とても明るいイルミネーションみたく、大きな焚き火みたくなります
きっと暖かい


夜の、静かで穏やかな感じは嫌いじゃありません。でも、野生のライオンとかに狙われる恐怖を伴うサバンナな夜は避けたいです

恐れは怒りを誘発するのだそうです
怒りたくありません、怒っている人は苦手です


そんな感じ


20150120

20150120

拍子抜けしてしまった。
外に出たら世界はいつもと全く同じで。特定の誰かや社会とかを否定するわけではなくて、ただびっくりしたのです。

今日の午後に自分からしてみればとても重大で深刻なニュースが飛び込んできた。
そろそろしっかりと把握しておかないといけないと思い、最近国際的な話題を読んだり耳にしたりしていたこともある。それが自分の国というとても身近なところで関わってきたので気が気じゃなかった。

何もできないことは分かっているけど、状況とそれに対する対策についてとりあえず沢山の情報が欲しかった。それでネットとかで関連する情報を検索して、ずっと垂れ流した状態で、自分の中では不安と恐れが大半を占める状態で、過去の事例や賛否両論国内の様々な人たちの意見や知識をただひたすら横目で読んでいた。何が正解で何が誤りか分からないまま、最悪の事態とか想像したりして、ずっと興奮して鳥肌を立てて座ったまま頭がぐるぐるしていた。

そんなのを数時間続けたのち、夜になって外に出ていつもの道を歩いていると、いつもと変わらない風景があった。いつもと違うのは自分だけで、全く違う世界に迷い込んでしまったと本気で錯覚してしまう程だった。自分のSNSを覗いてもいつもと殆ど変わらず穏やかなもので。もちろん言及している方々もいらっしゃったし、たまたまだとも思うけど。でも異世界に迷い込んだ感覚、パラレルワールドの感覚、映画や本の中だけのものではなかったようです。

異世界を現実世界と認識できた途端に、なんか息と一緒に不安や恐れが一気に吐き出される感覚があった。数日はずっと緊張が続いて眠れないんじゃないかとか考えたりした。このまま形を変えながらずっと続くかもとさえ考えた。
いいとか悪いとか置いといて、何か問題が起こった時にすぐに大きな声を上げて自分の主張や周りへの自分なりのアドバイスを訴えようとする人の気持ちが少し分かった気がする。
まだまだ不安で怖いことに変わりはないけど。きっとひとつの答えに収束とかする問題ではないと思うけど。

最近も人に考えすぎだと言われたけど、今回もそうなのかなと思った。
また近所の銭湯に行ってきた。お風呂というのは、身体も心もどちらの疲れもお湯でザバぁっと洗い流せると自分に暗示を掛ているところがある。近くにあってとても助かっています。

銭湯への往路でおそらく生まれて初めて犬のフンを踏みました。
だからさっき近所の公園で真っ暗な中、ひとりで洗い流してきたところです。
使い古した歯ブラシと銭湯へも持参したボディソープを使ってみたところ、踏んづける前よりもピカピカになりました。歯ブラシとボディソープおすすめです。

そわそわしている間になぜか無性にこってりとしたラーメンが食べたくなりました。
明日あなたは死ぬと宣告されたりとか、地球最後の日の前日とかになると、きっと自分はラーメンを食べに行くんでしょう。

先も見えない渦中に、こんなにふざけた不謹慎なことを書いているのは、少しでも落ち着かせたいという力が働いているのかもしれません。とりあえず不謹慎と書くことで自分を擁護するクセがあります。



非現実が一瞬にして現実味を帯びて隣り合う感覚を味わった。

今もどうなるのだろうと心配することしかできていない。

20150113

20150112

明けましておめでとうございます。

昨年は北極圏に近いところで年を越しましたが、今年は上空でHAPPY NEW YEARと言い、赤道に近いところに行きました。それはまた後で残すようにします。

今日はお誘い頂いた与那国島の映画を観て、何も分からないなりに少し考えました。
劇中ではたくさんの人たちが怒っていて、2つの正義があって、最後まで自分にはどちらが正解か全然分かりませんでした。とても難しい問題。
月並みで残念ですが、いまは考えるきっかけが貰えてよかったと思うことにしました。


その後、本当に偶然ほぼ初対面のとても面白い人たちの輪の中に入れて頂き、これまでの人生で全くかすってもこなかった面白い話を次々と聞けました。本当狭いところしか見てこなかったんだとまた後悔しました。

住んでいる小さなまちで
数時間の間に一連のことが起こった。
ここは本当に素敵な場所です。
色んな人たちが思わぬところで繋がっています。でも必然なのかもしれません。
いまは空間的にも時間的にも非常に恵まれた環境にいると思うので、積極的に動いていこうという心待ちです。

見えていなかった世界は果てしなくだだっ広くて、キラキラというかギラギラしています。もうなんか気付かぬうちに文章が詩的になってしまうくらい気分が高揚しています。
いつもの焦燥感はあまりないです。
知らなかったことをもっと知りたい、話を聞ききたいという純粋でポジティブな欲求かと思います。

最近は自分に潜る本ばかり読み、いまのこのぼんやりしている状態は何なのだろうと答えをはっきりさせようと近くて狭いところで躍起になっていました。

でも、それどころじゃありませんでした。色んな本を読んで勉強したいという意欲が出てきました。あまり得意ではありませんが色んな人と話をしようというやる気が出てきました。

ひとりが好きと逃げていましたが、そろそろ人見知りとはおさらばしなけりゃなりません。

ひとりで自問自答している哲学しているのは、白紙なのにそこに描いてあるはずがないタヌキ(うろ覚えです)の絵をここ描いてあるのはタヌキだ!と必死で理解しようとしているようなものだと今日会った方々が仰っていました。


外に目を向けないと。
年始のよいタイミング。

でも今年の目標を、
「断る勇気」
に設定してしまったので
早速失敗したかなと思っています。


今年もよろしくお願いいたします。



20141210

20141209

今日ふと思い出したこと。

こちらにいると数年前に起こった大きな出来事や、
向こうやいろいろな場所に散らばった人たちの中では
今も未だ続いているであろうことをついうっかり
忘れてしまいそうになる。

忘れることは避けられない、
でも思い出すことはできる。
個人的にも定期的に思い出す必要がある。


こちらにおける、
普通の、日常の、ルーティンな、生活。


“慣れ”というのは恐ろしいもので、
その中にいると様々な物事に対する欲求の平均値が
いつの間にか上がっていき、あれもこれももっともっと、
と気付かないうちに焦ってしまい次第に自分を追い込んでしまう。

周りの人たちにも多分な影響を受けることで焦りながら、
かつ巻き込みながら、相互作用的な負のスパイラルが止まらなくなる。


当時は、物も娯楽も全くなくても全然平気なのだ、
と最低限で生きることを体感できたはずなのに、
場所が変わって、時間が経てばすぐに忘れてしまう。
ましてや自己顕示欲なんて生まれる隙間もなかったはずなのに。


今現在、具体的に欲しい物やどうしてもやりたい事があるわけではないけれど、
充分すぎるほどに物で溢れていて、時間的な余裕もあるはずなのに、
それでも全く満たされている気がしない。精神的な不足や焦燥感を常に感じる。


視野がすごく狭くなっていることも一因と思う。
例えば毎日の生活から抜け出さない範囲や、興味のある
音楽や演劇等々やその周りの人たちだけにしか目を向けておらず、
非常に狭い界隈の中をいかにうまく切り抜けるか、充実するか、
に必死になっている気がする。


もっともっと、広く見渡さなければなりません。
正確ではありませんが、好きな漫画の中に、地球上の大部分は海や山や植物なのにどうして私たちは自分たちが生み出した娯楽等にばかり目を向けるのだろうというようなセリフがあります。
もっと自然を愛さなければ、とかそういったニュアンスではなく、すっと自分の中に入ってきました。


山本耀司さんが本の中で、フランス語の「ici et maintenant」という
言葉を取り上げていました。「ここで、今」という意味で、
ご本人は過去を振り返ることが嫌いなのだそうです。
初めてこの言葉を目にした時は、将来的なことは考えず
瞬間瞬間を生きていくということが大事だと理解して、
これまで後先考えず本当に感覚的に生きてきてしまった自分に
ぴったりと合ったので嬉しくなりました。

でも、今はやっぱり思い出して省みることも必要だと
感じているので矛盾してしまいます。
今ここの目の前の狭い範囲に集中するのではなく、
広い範囲を俯瞰したいという点でもずれてきます。
やはりどちらも重要であり、時と場合に応じた
抜き差しを身に付けるべきなのかもしれません。



こうやって事あるごとに、一歩引いて自分を見ることが
できるようになればよいのですが。
別件ですがここ数年の課題である“怒らない”ことについては、
段々と実践できるようになってきました。
怒ってしまっている自分に気付く反射的なスピードが速くなってきました。


そろそろ自分をどうにかではなく、
周りのために何か関わっていけるようにしていきたいです。
その動機が結局は自分のためであっても。

こんな風に頭の中だけでだらだら考えて書いてるだけじゃなくて、
実践していかないと意味ないというのは分かっています。