20181026

20181025

朝、8時発のバスに乗る。


走り出した窓の外は、まだ夜が続いたまま。


ポケットには食べきれなかった小さなリンゴが丸々1個入っている。
€1で、ネットの中にたくさん入っていて、毎日食べていた。
全く手をつけられなかったみかんがたくさん入ったネットは、宿の人にあげるために部屋に残してきた。


チェーンの店もあまりなく、何より高い建物は中心部の少しのホテルと、たくさんの教会くらいだった。だから、とても見通しがよく街全体が広々としていた。
教会たちは、街のどこからでも見える道しるべになるように、という理由で真っ直ぐ空に伸びているのだろうか。
どこも、大きくてカラフルなステンドグラスがとても綺麗だった。


アイルランドはカトリックが多くて、歴史的に幾らかの関連した問題も持ち合わせている。来る直前に知った。滞在中、宗教の話は誰ともしなかった。


帰りのバスは、行きに比べて豪華でピカピカだった。
ルートは違えど、同じ会社で、特にグレードなどないはずだけれど。

行きのバスはとても使い古されていて、たまたま座った席はシートが倒れたまま元に戻せなくなっていて、体勢を少し変えるたびにギシギシと音を立てた。
使い古された背もたれには、バス会社のマスコットであるアイリッシュレッドセッターがデカデカとテキスタイル的に繰り返しプリントされていて、それもとてもよかった。


運転手のおじさんもユーモアたっぷりで、録音した音声案内はもちろん、たぶん車内アナウンス用のスピーカーやマイクすらなかったから、バス停が近づくと地声で停車する場所を伝えてくれた。後ろに座っていたからほとんど聞こえなかったけど、何かしゃべっているのだけは分かって、それだけでよかった。


帰りのバスは車内を青いLEDが照らしていて、シートも皮張りの流線型で、行き先を示す液晶ディスプレイも、女性の綺麗な声の録音した音声案内もついていた。
どうしても比べてしまって、行きのガタゴト揺れるバスとあの運転手おじさんに、もう一度会いたくなった。

おじさんは愉快なアナウンスをしながら、ボロボロのバスと一緒に薄くなりながら、遠くへ消えていった。きっともう会うことはない。もう一度ここを訪れることすら定かではない。

行きの経路は遠く離れた別の空港からだった。
4時間弱の道中、何もない、でもたくさんのものがある、そんな田園風景が続いていた。
家々は点在し、それぞれを繋ぐ電柱は全て木製のまま。
二車線の両脇に石垣が積まれた道路を進んだ。たくさんの馬や羊や牛が、代わる代わる現れては消え、足元に果てしなく広がる牧草を食んでいた。
そんな見晴らしのいい風景がずっと。


アイスランドは郊外に行くと、見渡す限り家はおろか緑すら全くなかったけど、こちらは全く違った。
カタカナで一文字違うだけで、こんなに違うのか、みたいなことは全く思わなかった。
例えば音楽だって、陰と陽とまでは言わないが、未だに個人的には割と対極にある印象だ。ケルト音楽は、苦手なビールも自然とおいしく感じられそうな、そんな楽しい雰囲気だった。イーリアンパイプスの音は特に魅力的だった。


窓の外にもどる。
広大な緑色のカーペットの上を、電線に沿って、飛び飛びに生活が続いていた。
正確には、飛び飛びの生活に電柱のピンを立て、その間が電線で結ばれていた。
馬や羊や牛にとっては、きっとそんなのどっちでも構わないだろう。
足元の牧草は、昔から変わらずずっとそこにあり続けたはずから。

そんな、どうでもいいことをぐるぐる考えながら、流れながら徐々に明るくなる、淡々とした心地のよい景色を眺めていた。


8時半、まだほとんど陽は昇っていない。


日本は、街がきれいで、すべて整然としていて、人も謙虚で穏やかで、とてもよい国だ、というようなことを色々な人に言われた。
こちらの人たちは、他人であろうとも、皆すれ違い様などに挨拶をしてくれた。小さかった頃の地元の風景を思い出した。今の生活環境では滅多にそんなことなくなった。


9時、ようやく空が、赤と青とそれらが混ざるか混ざらないかの淡い色に変わってきた。



隣の席でお菓子を食べながら新聞を読んでいたおじいさんは、気がつくとお菓子と新聞をそのまま残して居なくなっていた。


直行便がないから、乗り継ぎのためのロンドンで、ぽっかりとした時間ができる。
いつだって空港は通り過ぎるために向かう場所、大多数の人にとって目的地にはなり得ない場所。
目指すところはそれぞれだけど、こことは違うどこかに行く、という意味においては、同じ目的を持った人々が集まる場所。
たった今、目の前にいるたくさんの人たちは、それぞれが目を合わせることなく、全く違った、これから向かう方角や今来た方角だけを向いている。
子どもたちは、そんなことお構いなしに、いつだってどこでだって、興味の赴くままに全てを委ねているようで、それを見ていつも助かっている。



もう一度、あのこじんまりした街の外れに腰掛けて、ゆっくりと夕日に染まる海を眺めたり、誰もいない教会で、心地よい緊張感で響く足音に静かに耳を澄ましたい。
そういうことは、いつだって、過ぎ去ってから考える。
足元ばかり見ていないで、足を止めて、時間にぽっかりとでっかい穴を開け、空を見上げないといけない。


すぐに忘れてしまうから、見えないところに、少しでも積み重なっていて欲しいと、
最近はよく、そういう風に思います。


もうすぐ、時間を遡って帰ります。時間を行ったり来たりするのが好きです。
単純にSFが好きなこともあるけれど、誰かが決めたルールを、誰にも迷惑を掛けずに、好き勝手にはみ出していける感覚がとても好きです。

地上を離れている間、どこにも属さない、誰にも管理されない、とても自由なあわいの時間が自分の中に確かに生まれて、それが存在しなかったように、また決められた時間の中に当てはまっていく。
結局はルールの下に戻っていかざるを得ないけれど、そういったことを、一瞬でも多く経験していけたらと、そういうことも思います。



そんな感じ。