20171102

20171101

アメリカに来ています。


来ています、と言っても、もう明日には帰らなければなりません。
さっき、そういえば10年ぶりだったことに気づきました。


現在、夜の10時過ぎ。
帰る前日の夜には、いつもこうやって、ぼんやりと色々なことを考えることができる気がします。



地球儀の上に飛行機を飛ばしてみる。
こちらに来るときに伸びた時間は、帰るとき、経線を超える毎に縮んでいく。
起点があって、戻る場所があるから、そうなるわけで。
次から次へと当てもなく行き先を変えて行った場合、自分が元々持っていた時間は
その形を保てなくなり、ぐにゃぐにゃと手元からこぼれ落ちてしまう。

そういったイメージをふと思い浮かべる度に、
時間の曖昧さについて、誰かの決め事を基にした共通認識の不完全さについて、
だらだらと考えが巡ります。


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たまたま知り合った人と、
今日、少し離れたところにあるスーパーでたまたま会った。


違う国の野菜や果物コーナーを見るのが好きだと言いながら、
自分の家の畑で育てている野菜や果物の写真を次々に楽しそうに見せてくれた。
両手が使えなくなるくらい、スイカやベリーなどを買い込んでいた。


立ち話の中で、自分の漢字の名前を教えた。
この文字ひとつひとつが、それぞれ何を表してるか当てるからちょっと待って、と言われて驚いた。
木かな?、とか、家かな?とか、そうやって外れが増えていった末に、結局答えを教えたけど、自分の名前が全て象形で表せることをその時に初めて気付いた。
自分の名前に対する見方が変わった。もっと早いうちに知っていたら、テスト用紙とかにもっと綺麗に名前を書けていたかもしれない。

教えるつもりが、逆に教えてもらった。

彼の名前には、大きな船をつくる船大工、という意味があることも教えてくれた。
同じ名前を持つ人は全て親類で、名前を聞くだけで仲良くなれるのだそうだ。とてもいいなと思った。
名前におけるそういった先祖代々的なルーツの継承の流れは、国が違えど似てくることも再認識した。
誰と繋がっていて、誰に繋がっていくかということ、できれば気にしたくないと思っていたけど、時代や国を超えて重要視されてきているのだから、結局逃れられないものなのだろうか。



帰り道、色々話しながら、ちょっと寄ってこうと食事に行った。
ここらへんはシーフードがうまいんだ、魚とかエビは最高だ、と教えてくれた。
もちろん日本の方がうまいとは思うけど、とも。


二人とも、母国語ではない、慣れない英語で話す。


たまたま通りかかったのが、奇遇にも、折角だから贅沢しようと、最後の夜に行こうと思っていたレストランだった。
カニが名物なので迷いなくカニを注文した。彼はサーモン。


ナイフやフォークが皿の周りに綺麗に並べられていた。
いつもはフォークやナイフじゃなくて手で食べるんだ、と言っていた。
自分も、たまたま昨日スーパーで買った夕食にフォークやスプーンが付いてなくて、仕方なく手で食べたので一緒だ、と言ったら笑ってくれた。





アフリカ系のウェイターさんが料理を運んで来てくれた。
ここら辺はアフリカ系の人が多い。かっこいい。

自分のカニを試しに勧めてみたら食べられないと断られた。
その瞬間は嫌いなら仕方ないと思ったが、よくよく考えたら宗教上の理由だと気付き、
聞いてみるとやはりそうだった。

食後に聞くと、やはりアルコールも飲まないとのことだった。
そういえば肉も食べていなかった気がする。

慣れていないから全く気付けていなかった。
二人きりで、目の前で、申し訳なく思った。

実生活の中、テレビ、本、インターネット、見て聞いて読んでどこかで知っているつもりではあっても、実際に出会ってみると全て抜け落ちて、何の配慮すらできないことを痛感した。


アルコールについて、脳が、意識が自分から離れて何処かへ行ってしまって人間で無くなるのに、なぜそれをわざわざ飲んで人間でなくす必要があるのか、というようなことを言っていた。
自分もアルコールはほとんど飲めない。けれど、揺るがない想いというかそういうものではない。
きっと彼のそれは、手の届かないところでそうなっているはずだ。
また、教えてもらった。


食事をしながら、生活や習慣の話をして、結婚の話をした。
奥さんもいて子どもが4人いるそうだ。こちらに来てからも毎日テレビ電話で話をしていて、子ども達からお土産をせがまれているとのことだった。また、楽しそうに話していた。

日本の子供たちが自分たちで掃除する環境を知っていて、とてもうらやましがっていた。
向こうでは掃除係の人が全て仕事としてやっているので、子どもたちが自分で食べたものの片付けもできなくて困っているそうだ。
しつけ、てきなニュアンスのことで日本はすばらしいと、話していた。

伝統的な結婚の様式で、奥さんとはお互い全く知らない状態でお見合いしたそうだ。
お母さんが見つけて来た人といきなり出会ってそこで、お互いの了承を得て決まる。
少し控えめに、美人だったからと言っていて、いいなと思った。

その他にも、二つの国の間の様々な“違い”を話した。
子ども一人につき収入が上乗せされるとか、病院は国立のところに行けば完全に無料になる、とか、そういった。

共通するところもあって。
これほどまでに技術が進歩して、可能なことが増えているにも関わらず、国民全体が相対的に不幸せになっているように感じると言っていた。昔のシンプルな生活の方がまだ幸せだったように思うというようなことも。
自分も全く同じように考えていたので同感だ、と応えた。

技術の進歩で潜在的に存在していた課題が浮き上がり、解決すべき課題に対してまだ解決するための技術が十分でないことも考えられるのではないか、というようなことを言おうとしたが、英語が出て来ずにそういったことは何も言えなかった。


最後の最後で食事代まで払ってもらった。
色々気を遣ってもらってこちらがそうするべきなのに。本当に申し訳なく思った。


宿までの帰り道、街中で水を撒いて小さなアイスリンクをつくっていた。
向こうの国には氷や雪なんてないから、ってその作り方をじっと見ていた。
寒いのより暖かい方が好きだと言っていた。
自分も、日本でも南の地域の生まれだからか、暑い方が好きだと言った。


別れ際、ここへ来て色々な素晴らしい人にあえて良かったと言っていた。
その後、君のような、と言われて、それに対して何も言葉が出てこなくて、また会いましょうとしか言えなかった。うれしかった。



この世界に、知らないことは生涯知ることのできない数以上にあって、
学ぶべきことは生涯学ぶことのできない数以上にある。

同じところにずっといて、狭いところでぐるぐる回って、一歩外から見ればとてもとても些細なことで必死にもがいてるのは、それにずっと気付けないのは嫌だから、もっと知りたくなってしまう。

これしかないと思い込んで、どうにか解決しようと行き詰まっていても、実はその結果なんて、どうでもよくなるくらい、3次元の全ての方向に広がっている。
上下左右を壁に囲まれた、限られた環境で、最適化しようとするのは自分には違う気がする。
そうやって壁がどんどん崩れて、広がった世界に少しづつ溶け出して、広がることができているはず。


常に意識をほどいて緩めて広げておくことは困難で、
どうしたって自然と絡まって、固まっていくものだから、仕方ない。
人間は、知らないことを、ひとつずつ、なくすために、そのためだけに生まれて来たんじゃないかと、こういうことがある度に思う。


どんどん考え方を柔軟に、出来る限り広げた両手の上で様々な可能性を巡らせることができるように、そうした状態で、全ての物事を判断していきたい。

生きてる間で、できる限り自分の見渡せる範囲を広げる。壁を壊して。
壁だと思ってなかったところも実は壁で、崩せるかもしれない。

知ることで、随分と可能性は広がる。とか。
自分の場合は、行動して経験することでしか、真に知ることはできない。とか。



食事とか、瞑想とか、そういうので内側から静かに意識を変えるのは得意じゃないので、自分にはこういった環境自体をがらっと変えることが性に合っています。

本を読んだりして広がっていく部分も多分にあるけど、それは頭の中だけなので、
こうやって経験して、身体に影響させて無理矢理にでも、ぐいっと気付くのが性に合っています。


ここ数年、全ての考えがだいたいこういった、自分の意識の拡張(≒他社の意識の共有)みたいなところに集約していて、それはそれでつまらないなあと思います。



最近、イベントに向けて小説みたいなものを書こうと思って夜な夜な書いていたけど、振り返ればそういう感じになっている気がします。
それはまだ、もう少しかかりそうです。
きっと終わりをつくらないと、終わらせることはできないから。締め切りを設けて線を引きます。



たまたま、言語によって見えているものが違う、といった内容の本を、読むためにカバンに入れていました。

色々、繋がります。
こういう偶然は、もう、あまり驚かなくなりました。


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今夜はそういうモードでした。鉄は熱いうちに打て。




折角だから、こういう時にこそ後回しにしていた先日の仙台でのイベントの記録を、通り過ぎてしまわないうちに残しておきたいと思って書いていたのですが、やっぱりどうもテンションが違うのでまた落ち着いてからにしようと思います。




現在、夜の1時過ぎ。
帰る前日の夜には、いつもこうやって、ぼんやりと色々なことを考えます。




そんな感じ。