20150713

20150712

大きな競技場がお金を掛けてしゅっとするそうです、法案というものが古めかしくて遠かった言葉との距離を近づかせることになりそうです


大分流れに遅れてしまいました


把握したり動いたりするためのソースが村人とか酒場の女主人だとかとのふとした会話からだと面白いなあ、と思っていたけど、決まったサイクルの中だと、なんだか結局は村人や女主人もインターネットから割と同質の情報を得ていて、むしろこちらに届く頃には随分遅延が生まれるから、もうちょっとインターネットを使って積極的に集めてみることにします
また振り出しに戻る



退化と進化については
やっぱり今でも頭の中にあって

どちらにも興味あるから
極端に真逆な考えを
繰り返してしまうようです



知ってるか知らないかでも事態に対する感覚はかなり変わって来るので、取り敢えずは知っておきたいし、その上で合うか合わないか精査するって寸法です



先日いつだったか誰だったかと話をしていて、また対話の可能性を感じた。
整理できる、そこから、発生する
自分のじゃない言葉が、自分のもののように自然と出てくる

手の届きにくいところを開けてもらえる

誰に見せるでもない文章を書くのも対話の一種だと体感する。人によっては、絵を描くのも、うたを作ったり歌ったりするのも。
自分との対話。
整理して、発生した言葉の先で、
言葉じゃないものの先で、
なにか納得できるところに繋がるといい


そんな感じ


0 件のコメント:

コメントを投稿