20150717

20150716

想像していたのより少なかった


気付いたらずっと前の方に居て
途切れず声が鳴り続ける中で

目の前で起こっている光景を
ぼんやりと眺めながら

静かに変える方法はないかな
と考えていた


何ができるのか
何をしていくべきか



20150716

20150715

全員が怒ったりがっかりしたりしてるようだけど、見渡せば全員じゃないのかもしれないし
なんだか全力で流れに乗り切れないこの感じがいつもあって

ただ、今日から冥王星の謎が少しずつ分かっていきそうなことを全力で素直に喜べるような、
生きるとか死ぬとかの不安とか心配がなくなるような、そんな風になっていけばいいのになと理想の範囲で強く思います

20150713

20150712

大きな競技場がお金を掛けてしゅっとするそうです、法案というものが古めかしくて遠かった言葉との距離を近づかせることになりそうです


大分流れに遅れてしまいました


把握したり動いたりするためのソースが村人とか酒場の女主人だとかとのふとした会話からだと面白いなあ、と思っていたけど、決まったサイクルの中だと、なんだか結局は村人や女主人もインターネットから割と同質の情報を得ていて、むしろこちらに届く頃には随分遅延が生まれるから、もうちょっとインターネットを使って積極的に集めてみることにします
また振り出しに戻る



退化と進化については
やっぱり今でも頭の中にあって

どちらにも興味あるから
極端に真逆な考えを
繰り返してしまうようです



知ってるか知らないかでも事態に対する感覚はかなり変わって来るので、取り敢えずは知っておきたいし、その上で合うか合わないか精査するって寸法です



先日いつだったか誰だったかと話をしていて、また対話の可能性を感じた。
整理できる、そこから、発生する
自分のじゃない言葉が、自分のもののように自然と出てくる

手の届きにくいところを開けてもらえる

誰に見せるでもない文章を書くのも対話の一種だと体感する。人によっては、絵を描くのも、うたを作ったり歌ったりするのも。
自分との対話。
整理して、発生した言葉の先で、
言葉じゃないものの先で、
なにか納得できるところに繋がるといい


そんな感じ


20150701

20150630

日記です
たまには


American Footballのライブに行ってきた。


たしか高校を卒業したくらいから昔のemoとか聴くようになった。

音楽は昔のようによく聴かなくなったけど、それでもアメフトはなんだかいつでも聴けるので今でもいつでも聴いていて。15年くらい前に出た音源だけど。さらっときらきらしてる


完成された昔のもので在り続けると思っていたものを、今そこで変わりながら在るものとして体感することができるという贅沢



頭の中で完全に定型化されていた音やリズムから外れた豊かなゆらぎがあった



鳴っていた音が全て心地よかった
アルペジオが、コードが
やっぱりきらきらしていた



ルーツってよく分かんないけど、
恐らくそのひとつはこの周辺にあるんだと思う



気持ちが先行し過ぎて
なんだか最後のNever Meantの演奏もさらっとしていたように感じた
けどさらっとしているからいいんだろうな
お客さんみんな歌ってた、
曖昧な歌詞のまま一緒に歌った、



共通認識として当然のようにあるけど、文字や写真や映像や音声ではパッケージングしきれない要素がやっぱりこういった空間と時間には多分に含まれていて、それを感じたいからふらふら気軽に何処へでも流れてうまい具合に鉢合わせたいな、
と思うのです



あー、かっこよかった。