20150617

20150616

きょうは形式上ひとつの共通点のあるばらばらな方々と集まる機会


ひとって、本当に
いろいろな場所にいて
いろいろな時間を過ごしていて
想像も及ばないような行動や思考をしていて
それをいま現在もリアルタイムに積み重ねていて
本当に驚く

いいとか悪いとか置いといて
これまで出会ったことのない
いきなりそんな、人となりというか人間性というか、の人型の塊のほんの一角でも見てしまうと頭がぐわんとする



未だに慣れず、
決して心地いいリズムではないけれど
あっちこっちそわそわ流されるんじゃなくて
ふわっと大きく受容して
環境みたいになれるといい

包み込むのはずっと難しいだろうから
当面は広い敷物みたいな感じだろうか
かといって、我関せず、でもなく




そんな時間でどっと疲れたのか
向き合おうとしてたことからあっさり逃げた

こんなあっさり珍しい

昔からひねくれているので
自己啓発的な言葉がとてもとても苦手で、
でもたまたま聞いた数時間前の言葉は逃げるのを後押ししてくれた

真剣になれ、でも、深刻になるな

?ピンチはチャンス
?窮鼠猫を噛む
?火事場の馬鹿力
頻繁に発揮してたらここぞのスーパーなパワーもどうなることやら
慣れは怖い

深く刻んでばっかじゃ疲れちゃうし
追い詰められて初めて生まれるものもあるけど
ちょっといまは違う


なんだかやけにいろいろ積み重なっているけど、思い出してみると割といけそう、底はまだ深いところに
なんだって、みといた方がいいし、しといた方がいいのか


この前も、真面目すぎる程に真面目らしいことが分かったので、ただ真面目な人も苦手なので
ちょっとバケーション
背骨を抜いてだらんと




帰り道、
純粋な動機は
とてもきれいだなと思った


純粋な ひと や もの や こと
心地いいです


何ごとも
だらっと真剣にやります
できたらいいです




そんな感じ




20150525

20150524

誰も居なくなった静かな空間で


宙に浮いた高いところで


ふと流れてきた静かな歌で


全身で水を飲んだみたいになった



軽く、かるく




20150519

20150518

今日もお陰さまで、また色んなことが繋がっていきました。
きっと空間が持つ力なんだと思います。自分の中でもそういうことにします。



最近はとても穏やかで、すうっとしています。
この状態がずっと続くわけはないし、バランスが崩れてしまうのは怖いけど。



いまをじっくり味わうしかないかなと思います。
月並みな言葉で言えば、瞬間瞬間を楽しむ、ということに近いかもしれないけど、そうじゃなくてもうちょっとシーケンス的なフェーズの塊でゆっくりじわっと味わいたい感じです。


突然崩れた調和を愉しめるようなそんな耐性が欲しいです。
面白くなってきやがったぜ〜、的な。

ピンチをチャンスに変えられなくてもいいから、ピンチを受容して最終的にピンチと認識しなくすることができればいいです。


心にも身体にも余裕があるとついつい奢りがちなので、今だけでも謙虚に穏やかにいたいです。

この感覚を覚えておいて、イライラしたり追い込まれたりした時に思い出せれば、コントロールできやしないかなと思惑しています。



なんだかスピリチュアルな自己啓発本な感じになってしまいましたが、どうせ日常生活を重ねていけばどっかに落っことしちゃうんだから残念です。
でも、また拾おうとした時には要領覚えてるから、前よりは楽に拾えると信じたいです。

これもやっぱり、瞬間の頻度を上げて一続きにしていく考え方と一緒でしょうか。周波数を高くして短い周期に波をたくさん詰め込むイメージ。そうすると感度を上げてくことがそうだと思うから、現実世界では常に感覚を研ぎ澄ましていけばそうなるはずだから、gainを上げてノイズとして埋もれてしまう小さな音を拾えるはずだから、そうするためには単調な繰り返しの生活で感情のない機械みたいになってたらいけないから、・・・うんぬんかんぬん



自分はスマートフォンで文章を書くと、上から下へ思い付いたことを一方通行で一気にだだだだっといってしまい、脈絡とかなくなってしまうからよくないです。



何にしたって、空間とそこに集まる人たちのお陰です。


お世話になっております!










20150504

20150503

時間があります。
書いて残したいと思っていることは割と幾つかあります。
でも、時間があるので、たいしたことじゃないけど、
たいしたことじゃないことを書いて残します。


最近、早起きして森へ出かけます。
そのことについて。


やっぱり自然が最高、都市はゴミゴミしてて最低、
っていうような偏った考えではまだないです。
と、思うけど、自分の中の流行だから、多少偏ってるかもしれません。
でも、そのことについて。



東京の真ん中の方に住んでいても、
電車に1時間も乗れば色々な森に行くことができる。

守るために、残すために、人為的に整備されているものが殆どだけれど、
それでもそこには木が何本も何本も立っていて、枝や葉っぱがこすれて風の音が聞こえて、それに混じって色々な鳥の声が聞こえる。
柔らかい土の上を踏む感覚とその匂い。360度、視界は緑色で良好。


適当な分だけ日差しが透過された空間は、寒くもなく暑くもなく、
適当な分だけの音量で環境が鳴っている空間は、うるさくも物足りなくもなく、
まさに”適当”なのだと感じる。
”適当”の尺度なんてひとそれぞれで、そこに対峙した瞬間のそのひとの
置かれている状況・心境なんかが大きく影響するとは思うけれど。
少なくとも最近の自分は、この時期の森に対して、ある程度のものを満たしていれば、
どこへ行ってもいつ行っても”ちょうどよい”のだと思う。
雰囲気にのまれているだけかもしれないけれど、そのお陰で”ちょうどよい”状態になっているのならそれはそれで。


”適当”って、なんだか偉そうなので、”ちょうどよい”の方がしっくりくる。
みんな、この”ちょうどよい”が恋しくて、癒されるために森に行きたがるのだろうか。
幾つかの森に行ったけれどすぐ隣が住宅地でも、違う世界に一歩踏み入るための森が、
誰にでも開かれた森としてある。
地域の方々が協力して、みんなの森を維持している様子が垣間見られる。


どうして、自分がいま森に行こうと思い立ったか覚えていない。
そういえば、こじつけかもしれないけれど、小さい頃体験していた環境に近いからというのが一つある。


実家は山奥ではないけれどある程度の田舎にある。
電車も高速道路も、家の近くにはバス停もない。

もちろんライブハウスなんてないから、原付やバスで1時間くらいかけて港へ行って、
1時間弱フェリーにのって、やっとのことで賑やかなところへ出掛けていた。
もちろんもちろん映画館もないから、唯一の市民ホールみたいなところで稀に全国で上映中の大きな映画が1回きり上映される。ドラえもんの新作なんて回ってきた日には、子供たちは狂喜乱舞のお祭り騒ぎ。(のび太くんのおばあちゃんの映画の時に、一緒に行った子供たち全員が号泣してたのを鮮明に覚えてる、あの頃のピュアさはどこに置いてきたのやら)


小学校までの通学路はずっと田んぼや畑に囲まれた道だった。
カエルがいた、バッタがいた、川があった、山を切り開いた坂があった、
昔の防空壕があった、ススキがあった、ひっつき虫を投げたりした、
潰した空き缶をみんなで蹴って帰った。

小学校はぐるっと木で囲まれていて、すぐ裏には山があって、
そこがアスレチックになっていたから、よく昼の長い休み時間に走り回っていた。
そのお陰で足腰が鍛えられたのかもしれない、関係なさそうだけどそういえば骨折とか一度もしたことない。


森の中を歩いていると、木の根っこが出てるとことか、
”ちょうどよい”薄暗さとか、土の匂いとか、音とか。
アスレチックや、遠足で歩いた道や登った山を思い出す。

あと、森ですれ違うおじいさんやおばあさんたちとの、
「こんにちは」
もそうだ。

しつけなのか、自主的になのか、小さい頃はすれ違う人には必ず挨拶するもんだと思ってたけど、いつの間にかそうじゃなくなってて。
でも今でも無言ですれ違う度に、罪悪感みたいなもやもやしたのが生まれたりして。
それこそ、たいしたことじゃないけどなんだか寂しい。
お互い挨拶したいのに、そういうことする環境じゃないからってことで、
それを押し殺してるのだとしたらもっと寂しい。


近くにあったものが、場所が変わって、近くになくなったから、
懐かしいのかもしれません。
近くだったものが、時間が変わって、近くでなくなったから、
残念なのかもしれません。


こじつけだけど、いまはそれがそういうことなのかなあ、
と思うことにしています。


この前は森の中でトカゲを探してた小学生の兄弟が友達になってくれました。
聞けば1万人以上友達がいるとのことで、うらやましい限りでした。
これで友達が2人増えてよかったね、と言われた気がします。

最後は知らない他の子たちも混ざってみんなでサッカーをしました。
そこには何も壁がなくって、初対面の概念がなくって、みんながみんなそれぞれで、
楽しくてはしゃいでしまいました。



だらだらだらだら書いてしまって、本当なら考えを整理して筆を取らなきゃいけなくて、
一晩寝たら考えも変わっているのかもしれませんが、時間があったので思いつくことを長々と書いてしまいました。

地元については、書いていて懐かしくなって、いささか誇張が入っていたり、いつの間にかUFOに連れ去られていて記憶を書き換えられていたりするところもあるかもしれません。
そうだとしたらすみません。



明日くらいからまた仙台行こうと思っています。
少し通いすぎなところがあるけど誘ってもらえて本当にありがたいです。
仙台は杜の都といわれています。



結局は時間が緩やかに流れるのがいいのかもしれません。


そんなに急いで走らなくったっていいから、
追いつこうとしなくていいから、
大きく息を吸って、ゆっくり吐いたら、
そうしたら、自然と歩き出します。



森ブームはもう少しだけ続きそうです。







20150321

20150321

帰りのバスの中で書いていたのを随分放ったらかしていました、
のでそれをちゃんとしました。




ほんの束の間仙台に行ってきました。
いつも誰かしらが誘ってくれて、本当にありがとうございます。



フリマイベントの記念すべき第1回目だったそうです。

少しかっこつけたような宣伝文句が素直にかっこいいなと思いました。
色々ともらって頂いて、声を掛けて頂いてありがとうございます。


いつものやつに加え、幾つか恐竜を持っていきました。
恐竜は最近夜な夜なつくっているプラスチックの板に絵を描いてバッヂにしたやつです。
バンド名候補に挙げて 一瞬で却下された恐竜をそのまま流用しました。

アカウントつくってずっと放置していたnoteに、今回の分から飽きないうちは記録してみようかなと思っています。


恐らくすぐに壊れるので、無料配布のもってけ泥棒です。



人からお金をもらうのがどうも苦手で、元々お金にあまり執着がなくて、そういった風なので管理もひどくずさんでいけないなとは自覚していますが、やっぱりどうもといった感じです。だんだんと欲しいものが減ってきていたり、やりたいことがお金がかからない方向に向いているのが多いせいもあってなおそう感じます。(生活するのに充分お金をもらっているからこんなことが言えるんだろうけど)


お金(通貨)は借用書だそうです。経済とかちゃんと勉強していないから、いつの間に誰と貸し借りしてたんだっけとなって、国債なんかをちゃんと考え出すとぐるぐるしてわけわかんなくなります。通貨も紙幣と貨幣で発行元が違ったり、法的な取り扱いも異なると最近教えてもらいました。一般常識が身に付いていなくて情けない。

その瞬間の絶対数や、技術的なレベルや、知らない誰かの陰謀なんかも大いにあって、ひとつひとつのモノやコトそれぞれに対して、これくらいが妥当だという分の通貨が色々な尺度に基づいて決められているんだろうと思います。言語みたいに国ごとに通貨も異なるから価値を合わせる尺度としてのレートが必要で、尺度尺度尺度・・・と共通の価値を決めようとするのは、これとこれを交換する時にぴったり同じ価値じゃないと嫌だという誰かのワガママみたいだなと妄想してしまいます。たとえ釣り合ってなくったってお互いが不満じゃなかったら、それでいいのになあと思ってしまいます。


貨幣経済がどうとか、贈与経済がどうとか、そういったところにまで考えを広げる訳ではないけれど、お金を介さないで人と関わっていけたら理想だなと思います。
とても甘い考えで、具体的な解決策は示せないけど、金の切れ目が縁の切れ目、は悲しいから。

あと、流れる方向としても、これあげるからこれちょうだいじゃなくて、これもらったからこれあげるね、になるといいなあ。


こんなことばっか書いてると、どうにかぐるぐる回っている経済活動を妨げようとしている、悪の秘密結社の親玉に仕立て上げられてしまいます。
悪いのは嫌だけど、秘密結社という響きにはとても惹かれます。


大きなサイクルから抜け出した生活を送るのは一筋縄じゃいかないし、フライドポテトとかアイスクリームとかない生活は想像できないし、まだ当分無理そうです。




仙台はやっぱり第何番目かの故郷だなあと思います。










20150317

20150316




孤独か孤独ではないか
ひとりかひとりではないか
はちょっと違うと思う


と思った



20150316

偽善
という言葉で

いまの全てが一蹴される


やらないよりは、やる、
方がいいのだろうか



動機は不純、周りの目、自分への納得
動機なんて関係ないのだろうか



その先の人たちのことを思って、
その気持ちを自分のものとして、
いるのだろうか
できるのだろうか
なれるのだろうか



きっと根っこじゃ
そうじゃない


結局は自己満足
こうやって書き残すことも

目を惹く言葉を選んで
心地よい間隔を空け
外面のよい文章にしようとする
此の期に及んで
ひらがな、カタカナ、漢字、
句読点に読点
のバランスを気にする


当事者面したいわけじゃない
でも向こう側に席を設けて安心したい
ということかもしれない




下手にずる賢くなってしまった
いらない


偽善



ふ、とした
一言が
ひどく重い



でも大丈夫
後ろ向きじゃない


迷惑を掛けない範囲で
できることを探して
やってみたい




これは夜の頭の中で
起きたら変わることも多分に


それもいい
でも


記録

ぶれないように