20170309

20170204

その土地を歩くと

昔の記憶がなだれ込んでくる

身体がジオタグに反応しているような

空間の場所の力

20161226

20161226

映画を見た
手話で話していた
少しだけ


帰りの駅で
並んで手話で話しながら
歩いてる人たち
がいた


---

昨日はクリスマスだった
さっき夜のスーパーで
ずっとお正月の音楽が流れていた

そういえば
おとといはクリスマスの花を売っていた花屋も
昨日の夜には
お正月の飾り付けの準備をしていた


暦の上では、数字の上では、
時間が確実に分かりやすく更新されていって
気が付けば追い付けなくなりそうな、
そんな速さと非情さだけど

もう少し、流れていくのを
一息つきながら、反芻しながら
ゆっくり味わいたい


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クリスマスに
精霊になった
何も分からず手探りで、見よう見まねで、拾ってきた木の枝を麻紐で結んだ

精霊になった途端
自然と声は出せなかった

声が出せないから、身体を震わせたり、首を傾けたりして、感情を表現していた
特に意識することもなく
自然とそうなっていた自分に驚いた


スピリチュアルなことには余り親和性がない方だと思うけど、後からそうだったことに気が付いて驚いた

やっぱり、実践して、
身体で分かることの方が多い
し、身体で分かることの方が
ずっと分かりやすい気がする


精霊越しに見る子供たちの顔は
とてもきれいだった

大人が見たら気持ち悪い概見だったろうけど子供たちは誰も怖がってなかった、
じっと見つめながら、ただ不思議そうな顔をしていた

手を振ったら手を振り返してくれた

どういう風に見えていたのだろう

ほんの少しだけ
シャーマンとか
そういった人たちの気持ちが
ほんの少しだけ
分かったつもりになった


---


誰かを泣かせるために
誰かを笑わせるために

分かりやすく
そのままそれを伝えるのは嫌だ
押し付けるのは

分からないことの方が多いから
よく分からないけど分かる
そういうものを探していきたい



メリークリスマス
って言うのには
どちらかといえば否定的なイベントだったと思うけど


メリークリスマス
って言い合うとなんだかうれしくなる気がしたから、細かいこと気にせずに言えばいいと思った




そんな感じ
で、今年も終わりそうです。



そんな感じ




20161129

20161128

振り子はふれた分だけ
必ず逆にふれるものだなあ

とまた思った


どうもぼんやりしてたけど
映画を見てきた今
踊らにゃ損々
という感じ


芸術とか娯楽とかアートとかコンテンツとか
区別はよく分からないけど
そういうものはこういう理由で
あるのかな、と事あるごとに思う

こういう気持ちになるのもまた
踊らされてるのかもしれないけど
気づかない方がいい時もある


映画館を出たら、見える景色とか聴こえる音とか、きっと世界が違って見えるかな、
と少し期待したけど
大して変わらなかった

でも何だか
背筋を伸ばしながら
気を抜こうと
よく分からない気持ちになれた
いい方向



昨日はじっとしていたけど
色々な人たちに会えてよかった


ロフトでずっと漫画を読んでた小さな女の子が、帰り際、
最新のたまごっち事情を教えてくれた。

今のたまごっちは、お見合いとか結婚とかがあって、子どもが生まれて、
成長して、それを果てし無く繰り返していくそうだ

輪のように閉じられてぐるぐる回るデジタルな世界を想像して
少し悲しくなった

ちょうど目の前で生まれた紫色のヒヨコみたいな女の子は、
18代目だと言っていた



ばいばい、またね
と言ったけど
もう二度と会わないかもしれない

もし会えた時は、その時はたまごっちは何代目になってるだろうか

でも、たまごっちは、同じように首から下げて持っていて欲しいと、
その時もまた、自慢気に、自分で付けたお気に入りの名前を教えて欲しいと、
とても自分勝手だけど、そう思う


自分がそう、いたい
だけなのかもしれない



そんな感じ








20161017

20161019

苦手だった甘くないコーヒーが飲めるようになってきた
喫茶店で2杯も飲んだものだから、
眠くならないでいる


きょう試験を受けた
その後すぐにインターネットヤミ市に行った、
知っている人がいた、おもしろい人たちがいた
漠然と、おもしろいことをしたい意欲が湧いた


---

帰り道


駅で、駅で、駅で

妊婦さんが、電車が着いたばかりのごった返すホームへ向かって、階段を駆け下りて行った、大きなお腹を抱えながら

階段を登り終えると、コインロッカーの脇で電話しながらキャリーバッグに腰掛けて泣いている女の子がいた

残高不足で改札ではじかれた、
赤く光った

チャージすると、目の前にお母さんとお婆ちゃんを泣きながら見送る女の子がいた、お母さんとお婆ちゃんも泣いていた

海外から来ているらしい顔を布で覆った人たちがみんなして改札ではじかれていた、
赤く光った

赤く、赤く、赤く、光った

駅で、駅で、駅で

ここの席は、これから人が来るので座れません、すみません

と、言っていた人は、その後すぐに何処かへ行ってしまった

その空いた席を、後から来た人たちが何事もなかったように、すぐに埋めていった


電車が動き出した

---


今夜は満月だそうだから、
空がとても明るくて気持ちがよかった

雨が降った






ずっと前にもらったセージを焚いた
浄化作用があるそうだから、
せっかくだから




そんな感じ


20161001

20161001

世界は
全てのオブジェクトの動きがプログラミングされていて
誰かが初めに再生ボタンを押しただけなのかもしれないと
ふと思った

20160916

20160914



時差ぼけで目が覚める。


アムステルダムはヨーロッパのニューヨークと呼ばれることがあるらしいことを滞在中に知った。

日本を離れてみるとそんなに珍しいことじゃないと思うけど、そういえば観光客を除いても様々な人種の人々が景色の中に自然といた。


滞在中、用意していった音楽も聴かなかった、本も読まなかった。



帰ってきたその日の夜、宇宙と芸術展に行った。
それぞれの濃度は濃くないものの、古代の天体観測から未来の火星移住まで幅広く。

昔、常陸にうつろ舟が漂流した話。
UFO、と言われて今の人たちも共通認識として想い描く、そのものの形で面白かった。

嘘でも本当でもそんなのどうでもよくて。


飛行機の中で読んでいたピダハンの本の中でも少数民族の宇宙観に触れられていた。
ピダハンには経験したものしか存在しえない。たとえそれが夢に中の経験であっても、それは常に現実のこととして立ち上がる。いつも夢の中だけで出会っている精霊は現実世界にも確実に存在する。


現実と夢の境がないこと。


現実とか夢とかで、時空間やそこでの経験を括ってしまわないから、起きてる時も寝てる時も経験し続けてる。


現実は本当に現実でしょうか。
夢は本当に夢でしょうか。


時々、ふと考えると、自分が何処にいるのか分からなくなる。

足元が不安定になって、揺らいで怖かったけど、それもいいのかもしれない。

我にかえる、ための我は、夢の中でも我なのかもしれないし。
ずっと我であり続けるのだから、我にかえる必要はないのかもしれない。



夢と現実の境がないこと。
夢と現実の境が曖昧な、黄昏時みたいな、そういうところを漂いたい。



だからUFOを見た人にとって、UFOは確実に存在するし、それを全く経験のない他人との共通認識のフィルタに通して台無しにする必要もないと思った。



もし、現実が現実でしかあり得ないのであれば、夢の世界を現実と受け止めて帰ってこれなくなるのは怖いけど。

常軌を逸する、逸しない



ここ何年かずっと、
誰かの見ている風景を覗いてみたいです。


今夜は十五夜で、
満月がきれいでした。



おやすみなさい。
そんな感じ。





20160903

20160903

きょう、一瞬鏡に映った自分が
全く知らない誰かに見えた

おもしろい感覚