20151219

20151218

きょうの夕方、
3分間だけの空




こんなの見せ付けられたら
良いことも悪いことも、
全部ふっとぶ、
でしょう


何回転したのだか、わからないけど
地球はよくできてるな

とんでもないな


20151128

20151208

この前、数年間過ごしたところに行く機会があった



昔住んでた家の近くにあったすべり台とブランコとシーソーと大きな桜の樹がある小さな公園は、家を建てるために更地になっていて


その光景が飛び込んできた瞬間、遠くから遊びに来た友達と桜の樹の下でふざけて撮った写真のことを思い出して、重さは一瞬で変わった


ついこの前、その写真が偶然出て来たって連絡があったばかりだった


分譲されるべく更地の上に建つであろう新しい家は皆んなきっと同じ形に四角い、公園は使われて古びて丸かった








一瞬一瞬を捕まえてかないと置いてかれる
瞬間に感じ取れる感覚をより豊かにしたい




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きょう、ふと、ダンスと手話は似てるなと思った



ダンスに言語的な側面を求めた時、手話同様にざっくり視覚言語にもなるのかもしれないし、そのまま身体言語となるのかもしれない



身体という言語を通じて他者になにかを伝えようとする行為



言葉を口に出してなにかを伝えようとする時、それは音という別のかたちに変換された状態で空気中を媒介していく

でも認識する側でまた言葉に戻す処理を伴うから、結局は聴覚言語も個人の持つ言葉に対する理解や感覚にひっぱられる部分が大きい

文字を読むのは視覚言語だけど、勿論言葉を考慮した認識だし、認識する際に頭の中で音声に変換する処理も伴うのだった気がする


一応音声言語に通訳できる手話はまだしも、言語として体系化されていないであろうダンスに至っては、そういう処理が必要ないから、とても純粋な状態で相手になにかを伝え、相手からなにかを受け取ることができるのではないだろうか



言葉に慣れた自分たちにとっては、とてもぼんやりしたなにかだけど、言葉では伝わりきれないその他の大部分を内包してるのだろう








意味を求めずに
そこにある行為をそのまま受け入れようとする


と、したい



dance dance,
otherwise
I
lost



これを思い出し

からだ







そんな感じ


20151109

20151108

齋藤陽道さんの展示「なにものか」


雨のせいもありどんより暗くて、寝過ごしてしまい諦めかけたけど、その先に何かありそうな予感がして、途中からでもと思い、齋藤さんのお話を聞きに行った


筆談で静かにしゃべる様子、
字の形や文章が綴られるリズムも相まって、きれいだな、と純粋な気持ちで見とれていた



「異なることが、うれしい」

「カオスの中の秩序が、うつくしい」
は同じことなんだって

「みんなちがって、みんないい」
とは違うんだって

異なることが~、の方は差異をそのままにしてなぜかそう思えた神秘。
みんなちがって~、の方は差異を言葉で埋めようとしている。

みんなちがって~、がなんだか苦手だったので、とてもしっくりきた



音声言語も含め、現象や感情を言葉にしてしまうと、その瞬間たくさんのものが失われてしまう。

理解しようとすると、頭の中でさえ文字や音声を仲介して、目の前で起こっていることや湧き上がってくる感情を、自分が納得できるかたちに丸めて抑え込んでしまう。豊潤だったものを削ぎ落として手頃なかたちにしてしまう
音をサンプリングする時、可聴域外の不要な情報を落とすみたいに。

聴こえないかもしれないけれど、分かれないかもしれないけれど、不要な、無駄な部分があるのとないのとでは絶対的に感じられるものが違ってくると信じてる


職人気質の人たちの、一見無駄なように見えるこだわり、なんかも、この延長線上にあると思う。効率化とか生産性とは真逆の考え方

、話が逸れました、



最後、この先に見たいものは?と聞かれた時のこたえも印象的で、
「見たいものは特にない。一個人の核に立ち戻っていく。人が人と出会うよろこびに言葉を使わずに立ち戻れるように。」
って


原始的な生活に回帰するような極端な話ではなく、現代の感覚において言葉に縛られない部分でのコミュニケーションが、(かつてそうだった?ように)、もっと尊重されれば、きっと世界もおもしろくなるなあ




帰ってきてから読んだ齋藤さんの手書きのレポートや展示に関する文章も、驚くほどすとんと自分の中に落ち着くものだった


「それがなにかはわからない、しかし、とてもよくわかる。」


ずっと、分からないことを分かること、について考えていて
それに対するひとつのこたえを示されたような。
こたえなんてなくて、自分の中でそれに対して抱く、しっくりくる感覚を探してるのだろうけど。指針を示してもらったような気がする




また、お面をつくろう
自分の中にいるのだか、どこか遠くの方から呼んでくるのだか、
「なにものか」のようにそのあいだにいるのだか、分からないけど、



たぶん、かわる、ことができるから



かわって、もっと違ったところから、
みることができるから


20151019

20151019

6月に植えた苗は
金色になっていた






思い出しながら
このところゆっくりと呼吸していなかったことに気づく






流れているスピードが違うから
大切にする部分が違うから






あのこはこれからどういう風に
生きていくんだろうか


その大体が楽しいといいな



そんな感じ


20151011

20151011

昨日の0時に東京からヒッチハイクで鳥取を目指しました。

道とか全然分かんないまま行き当たりばったりで24時間近く経ったいま鳥取にいます。




本当に驚きます
みなさん底抜けに優しい、ご飯を食べさせて下さいました。みかんを頂きました。



お二人は自宅に帰るはずだったところ、夜中片道3時間くらいかけてわざわざ鳥取まで送って下さいました。
初対面の訳わからない人間を車に乗せて、疲れている中6時間を使ってくれました。嫌な顔一つせず自然体で。ジョークを交えて。



なんども感動しました。
思い出してもまだ戻れます。



寛大に受容を
自然に意識せずに
焦らない焦らない


本当にいい経験になりました
ヒッチハイクは必要とならないともうしないと思います。
声を掛けてお願いするのはやらず、ボード抱えてずっと受け身のスタイルでやってたけど。それでもやっぱり他人に負荷をかけるくらいなら自分だけでやってしまったほうが気持ちが楽という感覚があって。



みんな優しすぎて申し訳なさすぎて抱えきれません。



お礼とかいいから、また違う人に同じように返してあげて下さいと言われました。
いまはどんな場面においてもそうありたいと思っています。





20150903

20150903

8月はいつの間にか通り過ぎて行きました


恐らく日本の四季の中では夏が一番好きだけど、今年は夏らしいことは何もしなかったしどこか遠くへも行かなかった。8月の終わりに行った盆踊りは夏っぽかったかもしれない、楽しかった。


>左に寄って
今日はロボットに対話の可能性を感じた。
ここ数年気になることが答えが出ないまま少しずつ重なっていっていて。アンドロイドやロボットもそのひとつで。一般化した未来に興味がある。ロボットやアンドロイドと人間の将来的な関係の在り方については色々な意見があるけれど、全然自分の中で整理できてない、それをどうこうできるわけじゃないんだけど。
ただ、他人との対話を通して自分を省みることができたり、全く違った段階に自然と自ら気付いてシフトするためのきっかけを貰えたりするのは経験則もあって間違いないと思ってる。
だからアンドロイドやロボットが、人間ではない他人としてそういった場に存在する価値はとてもあると思っていて。そうなると、極めて擬人的な形や性質を再現したり、可愛らしかったり親しみやすい方がよくなってしまうんだけど。



>右に寄って
今日は偶然子供たちの税金を題材にした絵の展示も見た。たくさんの絵が整然と縦横に何十枚も並べられていた。ひとつひとつを見ていくうちに、税金に感謝、とか、税金はしあわせのもと、とか、そういったのをずっと見ていくうちに、なんだか不気味だなと一瞬思ってしまったけど、そういうのを通り越したとてもプリミティブな感覚というか純粋さみたいなのがうらやましくなった。授業で嫌々描いてるのかもしれないし、似たようなものも多いけど、そういった背景も含めてやっぱりとても惹かれる。もう戻れない感覚。
子どもが描いたからとか、下手ウマとか、そんなんじゃなくて、うまく言語化できない好みとして、とても刺激的。




ここ数日、右の方に寄っていた(寄せていた?)あたまが左に寄った。偏り過ぎるのはつまらないから。よい傾向。

scienceとengineering
idealismとrealism

どっちがいいとか状況によって大きく変化するし、バランスが取れてるのがいいとは限らないと思っていて。


これも振り子、
取り敢えず糸が切れないようにしていれば、どっちにだって振れる。


無理に動きを抑えてバランスを取ろうとしないで、柔軟にいつでもどちらにでも振れるように。ニュートラルに。





どの方向に対しても柔らかくいたい




そんな感じ。




20150805

20150804

夕方の空と星と

積乱雲とその奥の雷と

家が建つ予定の空き地とその上を飛び交うコウモリたちと

過去の野球の試合解説を大声で口に出しながらひとり歩くおじさんと



極めて短時間のうちに
次から次へと発生していく
ひとつひとつの現象の
どれにも敵わないと思った



そんな感じ