この前、数年間過ごしたところに行く機会があった
昔住んでた家の近くにあったすべり台とブランコとシーソーと大きな桜の樹がある小さな公園は、家を建てるために更地になっていて
その光景が飛び込んできた瞬間、遠くから遊びに来た友達と桜の樹の下でふざけて撮った写真のことを思い出して、重さは一瞬で変わった
ついこの前、その写真が偶然出て来たって連絡があったばかりだった
分譲されるべく更地の上に建つであろう新しい家は皆んなきっと同じ形に四角い、公園は使われて古びて丸かった
一瞬一瞬を捕まえてかないと置いてかれる
瞬間に感じ取れる感覚をより豊かにしたい
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きょう、ふと、ダンスと手話は似てるなと思った
ダンスに言語的な側面を求めた時、手話同様にざっくり視覚言語にもなるのかもしれないし、そのまま身体言語となるのかもしれない
身体という言語を通じて他者になにかを伝えようとする行為
言葉を口に出してなにかを伝えようとする時、それは音という別のかたちに変換された状態で空気中を媒介していく
でも認識する側でまた言葉に戻す処理を伴うから、結局は聴覚言語も個人の持つ言葉に対する理解や感覚にひっぱられる部分が大きい
文字を読むのは視覚言語だけど、勿論言葉を考慮した認識だし、認識する際に頭の中で音声に変換する処理も伴うのだった気がする
一応音声言語に通訳できる手話はまだしも、言語として体系化されていないであろうダンスに至っては、そういう処理が必要ないから、とても純粋な状態で相手になにかを伝え、相手からなにかを受け取ることができるのではないだろうか
言葉に慣れた自分たちにとっては、とてもぼんやりしたなにかだけど、言葉では伝わりきれないその他の大部分を内包してるのだろう
意味を求めずに
そこにある行為をそのまま受け入れようとする
と、したい
dance dance,
otherwise
I
lost
これを思い出した
からだ
そんな感じ