帰りのバスの中で書いていたのを随分放ったらかしていました、
のでそれをちゃんとしました。
いつも誰かしらが誘ってくれて、本当にありがとうございます。
フリマイベントの記念すべき第1回目だったそうです。
少しかっこつけたような宣伝文句が素直にかっこいいなと思いました。
色々ともらって頂いて、声を掛けて頂いてありがとうございます。
いつものやつに加え、幾つか恐竜を持っていきました。
恐竜は最近夜な夜なつくっているプラスチックの板に絵を描いてバッヂにしたやつです。
バンド名候補に挙げて 一瞬で却下された恐竜をそのまま流用しました。
アカウントつくってずっと放置していたnoteに、今回の分から飽きないうちは記録してみようかなと思っています。
恐らくすぐに壊れるので、無料配布のもってけ泥棒です。
人からお金をもらうのがどうも苦手で、元々お金にあまり執着がなくて、そういった風なので管理もひどくずさんでいけないなとは自覚していますが、やっぱりどうもといった感じです。だんだんと欲しいものが減ってきていたり、やりたいことがお金がかからない方向に向いているのが多いせいもあってなおそう感じます。(生活するのに充分お金をもらっているからこんなことが言えるんだろうけど)
お金(通貨)は借用書だそうです。経済とかちゃんと勉強していないから、いつの間に誰と貸し借りしてたんだっけとなって、国債なんかをちゃんと考え出すとぐるぐるしてわけわかんなくなります。通貨も紙幣と貨幣で発行元が違ったり、法的な取り扱いも異なると最近教えてもらいました。一般常識が身に付いていなくて情けない。
その瞬間の絶対数や、技術的なレベルや、知らない誰かの陰謀なんかも大いにあって、ひとつひとつのモノやコトそれぞれに対して、これくらいが妥当だという分の通貨が色々な尺度に基づいて決められているんだろうと思います。言語みたいに国ごとに通貨も異なるから価値を合わせる尺度としてのレートが必要で、尺度尺度尺度・・・と共通の価値を決めようとするのは、これとこれを交換する時にぴったり同じ価値じゃないと嫌だという誰かのワガママみたいだなと妄想してしまいます。たとえ釣り合ってなくったってお互いが不満じゃなかったら、それでいいのになあと思ってしまいます。
貨幣経済がどうとか、贈与経済がどうとか、そういったところにまで考えを広げる訳ではないけれど、お金を介さないで人と関わっていけたら理想だなと思います。
とても甘い考えで、具体的な解決策は示せないけど、金の切れ目が縁の切れ目、は悲しいから。
あと、流れる方向としても、これあげるからこれちょうだいじゃなくて、これもらったからこれあげるね、になるといいなあ。
こんなことばっか書いてると、どうにかぐるぐる回っている経済活動を妨げようとしている、悪の秘密結社の親玉に仕立て上げられてしまいます。
悪いのは嫌だけど、秘密結社という響きにはとても惹かれます。
大きなサイクルから抜け出した生活を送るのは一筋縄じゃいかないし、フライドポテトとかアイスクリームとかない生活は想像できないし、まだ当分無理そうです。
仙台はやっぱり第何番目かの故郷だなあと思います。